黒百合が咲いた


 僕の通学路上に、一軒の大きなお屋敷がある。塀の向こうの広い庭には、季節ごとに色とりどりの花が咲いていて、それは外からでも見て取れる。煉瓦の塀には所々に穴が開けられ、鉄格子がはめられているからだ。大きな正門から中を覗いたときには、噴水も見えた。出入りする車は黒塗りの高級車ばかりで、いかにもお金持ちらしい感じがする。確か、どこかの大きな会社の社長とその奥さん、それから三人の娘たちが、使用人たちとともに暮らしているはずだ。奥さんも娘さんたちも美人だと評判だが、いったいどんな人たちなのだろう。街ですれ違ったことぐらいは、あるのかもしれない。
 けれども、僕が気にしているのは彼女たちではない。断定はできないけれど、きっと違う。高い塀の向こうにそびえる、大きな屋敷のとある窓。高さからいくと三階のはずだ。その窓の内に時折見える、一人の黒い女の子。彼女の髪は漆黒で、肌も服も真っ黒で、瞳もきっと吸い込まれるぐらい綺麗な黒なのだろう。僕は彼女の名前を知らない。彼女が屋敷でどういう立場なのかも知らない。月に何度か窓の外を眺めている、その様子しか知らない。それにも拘わらず、僕は彼女に惹かれていった。名前も知らない彼女の姿を求めて、休まず学校に通った。大雪の日に見た、白い景色と対照的な彼女の姿には、特に惹かれた。
 屋敷の窓の向こうに彼女の姿を探すようになってから、かれこれ一年ぐらいが経った。一年前よりも、数か月前よりも、彼女を見かける頻度はぐんと上がった気がする。なぜだろう、これは自惚れてもいいのだろうか。でもきっと、違うのだろう。僕以外の誰かの姿を探しているのか、ただ単に外の世界をもっと見たいのか、僕の知らない複雑な事情があるのか、それとも偶然に過ぎないのか。僕は彼女の姿しか知らない。窓の奥を見つめるだけの、単調な毎日。それでも楽しかった。彼女の姿を一目見ただけで、その日一日が素晴らしいものになるぐらいには、彼女に囚われていた。
 更に一年ほど、月日は流れただろうか。心なしか、彼女と目が合うようになった気がする。遠目にしか見えないけれど、目が合うたび感じる。あの瞳は星だ。引力を持っている。僕はただただ吸い込まれるしかないのだろう。強く引き寄せてその果てに、白い僕も、黒く染め上げてくれるだろうか。僕は彼女に恋をしている。そうだ花を贈ろう。きっと彼女は喜んでくれる。花屋さんを訪れて、ある小さな花を見つけた。黒百合というらしい。その可憐な花は、黒というよりかは若干赤みがかっていて、けれども僕を惹きつけるその魅力は、まさしく彼女だと思った。毎日花を一輪、黒百合の季節には毎日黒百合を、塀の格子の向こうへ贈った。一番上等な、黒百合を選んだ。

 *

 わたしのへやは、まっくろです。みんなみんな、まっくろ。わたしも、まっくろ。たいくつな、ばしょ。だけどさいきん、おとうさまが、まっくろなカーテンを、あけてくれました。そとのけしき、なんてきれいな、いろ。うえのほうの、あのいろは、あおと、いうらしいです。わたしのしたに、ひろがってるのは、みどりいろと、あかやちゃいろや、きいろが、まばらに。こういうのを、カラフルって、いうみたいです。わたしは、カラフルが、すきです。だって、まっくろな、わたしより、ずっとずっと、にぎやかだから。わたしは、ゆるされるかぎり、そとのカラフルを、ながめていました。
けれども、わたしがいちばん、だいすきなのは、しろいろ、といういろです。そとを、じっとみつめていると、たまに、やってくるんです。まっしろなはだ、まっしろなかみ、まっしろなふくの、あのひとが。かれのしろいろに、わたしはきっと、ひかれていたのでしょう。かれがくると、なんだかこころが、はずむような、きがするんです。びょうきでしょうか? わかりません。かれのしろいろを、もっと、みていたいので、わるいものでは、ないといいなって、おもいます。ただ、おおゆきのひに、みた、かれのすがたは、しろいせかいに、とけて、きえてしまいそうで、こころが、ぞくっとしました。
 はじめて、まっしろなかれを、まどのむこうに、みつけてから、もう、いちねんぐらい、たったのだと、おもいます。カラフルなせかいが、くらくなって、あかるくなって、それを365かい、くりかえしたので、きっと、そうなのです。おとうさまに、おねがいして、できるだけ、たくさん、まどを、あけてもらいました。だから、いちねんまえよりも、もっとたくさん、しろいろの、あのひとを、みることが、できているのでしょう。だけど、すこしだけ、ふあんな、ことが、あります。かれは、もっとたくさん、カラフルなせかいを、あるいて、いけるのに、どうして、いつも、ここに、きてくれるのでしょう。
 さらに、いちねんぐらいが、すぎさって、いきました。なんとなく、かれと、めが、あうように、なったような、そんな、きがします。かれの、ひとみは、ちょっとだけ、くろの、まじった、しろいろ。はいいろという、いろだったと、おもいます。まっすぐに、しせんが、ぶつかって、ちょっとだけ、こわく、なります。かれは、ひとみも、ほんとうは、まっしろ、だったのでは、ないでしょうか? わたしの、くろが、まじりあって、いろが、かわったのかも、しれません。わたしは、たいへんなことを、してしまったのかも、しれません。そうだというのに、かれは、まいにち、はなを、もってくるように、なりました。わたしは、それを、とおくから、みることしか、できませんでしたが、あるじきに、なると、かれが、それしか、もってこなく、なった、ちいさな、くろい、はなが、なんだか、うらやましく、おもわれました。

 *

 僕が彼女に花を贈り始めてから、どれほどの月日が経っただろうか。ゆっくりと過ぎ去っていく年月の中で、いつしか彼女の家の庭は、綻びを見せるようになっていた。色とりどりの花は萎れ、噴水の水は涸れ、出入りする車も、普通者ばかりだ。僕が花を贈っても、もはやそれを、家の中まで持ち込む人もいない。寂しいような気がした。けれども、彼女は相変わらず、窓の向こうにいた。それだけでよかった。その姿を見るだけで、毎日安心していた。
 ある日父親が、重要な話があると言って僕を部屋に呼び出した。何の事かは大体わかる。父は資産家だが、ここのところ、何もかもがうまくいっていなかった。たくさんあったはずの資産は、きっと今じゃほとんど残っていないだろう。むしろ借金の方が大きいかもしれない。自分は頻繁に浮気していたくせに、たった一度浮気した母さんを責め立て、自殺に追い込んだのだ、当然の報いかもしれない。そこは別に、どうでもいいことだけれども。僕はもうすぐ学校を卒業する。社会に出て、せっせと働くようになったら、もう彼女の家には通えなくなるのだろうか。そのことだけが不安だと思いながら、父の部屋で待っていたが、父はなかなか来なかった。退屈さを理由に部屋を見渡していると、父の机に付けられた、小さな引き出しが気にかかった。あの引き出しには何が入っているのだろう。ちょっとした好奇心で開けたその中には、一通の手紙と、彼女のように真っ黒な赤ん坊の写真があった。

 *

 まっくろな、とびらが、ひらくおとが、しました。けれども、ふりかえって、そこをみると、いりぐちに、いたのは、おとうさまでは、ありませんでした。いつも、とおくに、みていた、ずっととおくの、そんざいの、はずの、しろいろの、かれ。かれは、まっしろな、てで、まっくろな、わたしのてを、とって、いいました。
「迎えに来たよ」
 むねが、どきりと、しました。かれの、たいおんを、かんじて、おもいました。きっと、これは、なにかが、おわった、おと。わたしは、かれに、ひかれるままに、ただただ、はしりました。くろいへやをでて、ろうかをかけぬけ、かいだんをおりて、はじめて、おりたった、そとの、せかい。ちいさなまどに、きりとられた、せまい、せかいとは、ちがう、おおきくて、ひろくて、どこまでもつづく、カラフルな、せかいでした。こわくは、ありませんでした。しろいろの、かれがいれば、どこまでも、いけるような、きがしました。おにわは、もはや、カラフルでは、ありませんでしたが、そんなことだって、かんけいないと、かんじました。わたしは、きっと、もう、かえってこないのです。

 *

 小さなアパートに、一人の青年と、一人の女性が住んでいました。せっせと働く白い髪の青年と、慣れない手で家事をこなす黒い髪の女性。二人は、ささやかながらも幸せな生活を送っていました。いつか終わる、終わらなければならない、短い時間ですが、それでも今はただ、幸せを享受していました。


黒百合の花言葉は恋と呪い。
メラニズムとアルビノの話。


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