Lepus timidus
日本海に人知れず浮かぶ、小さな島。地図にも載っておらず、どこの国にも属していないその島には、日本担当のサンタクロースと、お手伝いをしている動物たちが住んでいました。
島の中央には大きな工房があり、一年間かけて子どもたちへのプレゼントを作ります。作りだされたプレゼントは、白や黒、灰色など様々な種類のうさぎたちが丁寧にラッピングして袋に詰め、真っ白な毛をもつ白熊がその袋をそりに乗せ、クリスマスになるとサンタさんが子どもたちに届けるのです。
サンタさんが乗るそりを引っ張るのは、もちろんトナカイたちの役目です。ただし、この島には赤鼻を持ったトナカイはいないため、代わりにエゾユキウサギのユキが蝋燭片手に道案内をしています。
ただし、これはある秋の日のお話です。
真夏の頃に比べ、日が沈むのが幾分か早くなってきた秋の初めのある日、ユキは島を離れて大きな街に来ていました。その目的は、子どもたちの欲しいものを調べることで、年に数回行われています。
子どもたちの多くは、十二月に入ってからサンタさんに頼むものを決め、中には直前まで悩み続ける子どももいますが、それを待っていてはプレゼントの用意は当然間に合いません。そこで、一人前と認められたサンタクロースには、子どもを見るだけでその子が次のクリスマスに何を欲しがるかがわかる能力が与えられるのです。
ただ、現在の日本担当のサンタクロースは今年で百歳を迎えるおじいさんであるため、ユキがサンタさんの能力を借りてその代わりを務めていました。ユキだけでは不安なので、友だちの黒ウサギも一緒です。
「ここが、今日調べる街だな。建物がどれも高いなー」
そう言いながら黒ウサギが見上げたのは、その街に新たに建設中の電波塔でした。
「うん。この国の首都って、サンタさんも言ってたからね」
黒ウサギの陰に隠れながら、ユキも見上げて言いました。
「そんなに隠れながらだと、よく見えないぞ」
「だ、だって、周り人がいっぱいだから、怖いもん……」
ユキたちの姿は、サンタさんの力のおかげで周りの人に見えることはないのですが、エゾユキウサギの本能からか、ユキはつい心配になっていました。
「こういう時はな、歩いてる人も立ち止まってる人も座ってる人も全部、ただの動く人参だと思ってしまえばいいんだ。ほら、怖くないだろ?」
「余計怖いんだけど……」
そんなことを話しながらユキたちがやってきたのは、とある小学校でした。たくさんの子どもたち一人一人の家を回っていくようなことは当然無理ですから、こうして子どもたちの集まる場所に来て調査を進めるのです。
「あれ、どうやらみんな校庭に出ているみたいね」
枯れ葉が所々に散っている校庭には、ユキの言う通り、おそらくその小学校の児童全員であろう子どもたちがいました。そして、みんな紅白帽を被って並んでいます。
「運動会の練習でもしてるんだろ。ほら、そこに立ってる先生とか、ピストルもってるし」
「なるほど……運動会か……」
どこか遠くを見るような目をしながら、ユキは言いました。
「それより、さっさと調査を済ませてしまうぞ」
少しの間、意識がどこか遠くに行っていたユキは黒ウサギの一言で我に返り、プレゼントの調査を始めました。
「商店街のケーキ屋の息子の優太君はサッカーボール、学校のすぐそばの赤い屋根の家に住む茜ちゃんはくまのぬいぐるみ……これで全部かな?」
子どもたちの欲しいものを順番に読み上げていったユキが、振り返りながら言いました。ユキの後ろに立っている黒ウサギの手元には、子どもの名前と欲しいものがぎっしり書かれた分厚いリストがあります。
「えっと……あと一人分書けてないが……休みかもしれんな」
「保健室には誰もいなかったしね。その子の名前は?」
「大野有希。三丁目の青い屋根の家に住んでいるようだ」
「私と同じ名前だね。それでえっと、三丁目はこっちだったよね」
ユキたちが三丁目を歩いていくと、青い屋根の大野さんの家が見えてきました。やや広めの庭には小さな花壇がありましたが、秋の花は植えられていなかったようで、花は咲いていません。
「おかしいな……家から物音一つしないぞ」
「うん。病院に行ってるのかな?」
庭の隣にある、空っぽの車庫を見ながらユキは言いました。
「多分そうだろう。先に他の学校を周って、あとからもう一度来よう。」
そして、ユキたちは近くの小学校を三つほど周り、どの学校も下校時刻を過ぎた頃に、もう一度青い屋根の家に向かいました。車庫の中には、黒い車が止まっています。
「家に灯りはついてるけど……お母さんしかいないみたいね……」
そうつぶやきながら、ユキが窓越しに見た部屋の中では、お母さんと思われる女性が夕食の支度をしています。他の部屋には灯りがついておらず、ベッドを見ても他に人がいる気配はありません。
「この時間帯になっても家にいないってことは、どうやら入院しているみたいだな」
「うん。でも、入院している子どものリストには載ってなかったんだよね?」
「確かにそうだが、このリストは一ヶ月前に作られたものだからな。リストに載ってない子が入院していても別におかしくはない。ただ、リストに載っていない以上、どこの病院かはわからないから、全部周って行くしかないな。これに関しては、どうせ全部周る予定だったから問題ないが」
地図を広げながら、黒ウサギが言います。
「まずは、この通りの向こうの県立病院だな」
病院に忍び込み、子どもたちの欲しいものを順番に調べていると、探している少女の病室は意外にも早く見つかりました。
「大野有希。この部屋にいるようだな」
病室の扉の横にあるプレートに書かれた文字を読み上げながら、黒ウサギは扉を開けました。小さな病室の中に入ると、真っ白なベッドの上で一人の少女が眠っています。ベッドの隣の机の上には、薬やペットボトルなどに混じって紅白帽と思われるものが置いてありました。
「ユキ、この子の欲しいものは?」
黒ウサギは、扉の陰に隠れながら少女を見つめているユキに聞きました。ところが、ユキは何も答えません。
「どうかしたのか?」
振り返って黒ウサギが問いかけると、ユキはようやく口を開きました。
「……欲しいものが、見えないの」
次のクリスマスに欲しがるものが何もなければ、リストに載ることはなく、サンタさんたちは子どもたちの喜びそうなお菓子などをプレゼントします。つまり、リストに載っているのに欲しいものがわからないというのは、本来ありえないことなのです。
「何かの手違いなんじゃないのか?」
「……うん、そうだろうとは、思うんだけどね、この子が何が欲しいのかはなんとなく伝わってて、だから欲しいものがないってわけでもないみたいで、でもクリスマスに何が欲しいかってのはわからなくって、だから、その……」
俯きながら、弱々しい声でユキは言います。
「……そうか。何が言いたいのかはわかった。でも、仕方がないことだろ?」
灯りの消された病室は真っ暗で、逆光のためユキの表情はよく見えません。
「そうなんだけど、この子の思っていることが、昔の私そっくりで、その、放っておけないの……だから、この子を運動会に連れて行って、参加はさせられなくても、見させてあげて、いい?」
泣きそうな声で言うユキをしばらく見つめ、そして黒ウサギは言いました。
「その代わり、あとで仕事が忙しくなるのは覚悟しとけよ」
ユキたちがまず初めに向かったのは、その病院の小児科でした。
「えっと、カルテとかってよくわからないけど、多分この辺に置いてあるよね」
戸棚をあさりながら、ユキは言いました。周りには、レポートや医療関係の本と思われるものが散らばっています。
「そうだろうが……ユキ、あとでちゃんと片付けと……」
「あっ、あった!」
呆れたように言う黒ウサギの声を遮って、ユキは大声を上げました。その手にはカルテと思われるものが握られています。
「なになに……よし、これならいける! 黒ウサギ君、さっそく準備しよう!」
「……わかったわかった」
運動会の前日の夜、小学校のグランドにいたのはユキと黒ウサギ、それと二匹の話を聞いて協力しにきた周囲の動物たちでした。スズメやカラス、野良犬や野良猫たちだけでなく、こっそり小学校の小屋から抜け出してきたウサギや鶏もいます。
「することは簡単、まずはプールとグランドの間に並んで」
プールの側に立ってそう言ったユキの周りには、大量のバケツがあります。その奥で、黒ウサギは水道の蛇口のホースを付けています。
「グランドを水浸しにして、一週間は使えないようにするの」
動物たちのバケツリレーが始まりました。
ユキがバケツでプールから水を汲み、それをカラスたちが協力してフェンスの外まで運び出し、受け取った犬や猫、ウサギたちがグランドまで運んで水をかけます。そして空いたバケツは、スズメたちがユキのもとまで運ぶのです。黒ウサギは、プールから離れた場所にホースを使って水をかけていきました。鶏たちも、少しでも協力しようと雨ごいをしていました。
そうして翌日、先生たちが学校に来るころには、動物たちの努力の甲斐あってグランドはすっかり水浸しになっていました。やがて雨も降りだし、運動会は延期です。
「そういえばユキ、あの女の子と昔のお前が似てるって言ってたけど、昔なにかあったのか?」
小学校の校舎の側で雨宿りをしながら、黒ウサギが言いました。
「えっ、あ、うん。ちょっと、似たようなことがあってね……」
森の奥にある、小さなウサギたちの村。子どもの頃、ユキはその村で暮らしていました。その村にも小学校があり、秋の運動会は村全体の行事としても行われていました。地区対抗の競技もあり、大人から小さな子どもまで、村中のウサギたちが参加していたからです。
そして、その運動会に参加することがユキの夢でした。
「明日の運動会、見に行くだけだったらいいでしょう?」
「気持ちはわかるけど、まだ熱が下がってないし、頭も痛いでしょう」
「うん、そうだけど……」
小さな家のベッドの中、病弱だったユキは今年こそはと頼んでみましたが、どうやら運動会を見に行くことはできそうにありません。ユキの体を思って反対するお母さんの言葉も、当時のユキには辛く感じられました。
「大人になったらきっと病気も治るから、そのとき元気に動き回れるように、今はしっかり治したほうがいいでしょう?」
「うん……」
お母さんの言うことが正しいとわかっていながらも、ユキはその夜ある決心をしました。
翌日、ユキは家を抜け出しました。微熱があり、頭痛も続いていましたが、お母さんが地区の役員の仕事で運動会に行っている間に、こっそり家を出たのです。
「これが……運動会」
辿り着いた広場では、たくさんのウサギが集まり、走ったり玉入れをしたりつなひきをしたりしています。そして、会場全体が活気に満ちていました。大人も子どももそれぞれの地区のために全力でがんばり、応援するものも大声を上げて精一杯応援してます。
初めてみるその光景に感動し、ユキはもう少し見ていたいと思いつつも、お母さんに見つかることを心配して、途中で帰ろうとしました。しかしそのとき、強烈なめまいがユキを襲い、ユキは倒れてしまいました。
ユキが目覚めると、側には隣に住んでいる、ユキより二つ年上の白ウサギがいました。
「あ、ユキちゃん、大丈夫?」
「先輩! あの、どうして……」
不思議そうに尋ねるユキのもとにスープを運びながら、白ウサギは答えます。
「実は、ユキちゃんがこっそり運動会を見に来るんじゃないかなって心配して見ていたんだ」
「え、じゃあ……全部ばれてたんですか」
「うん。でも、お母さんにはまだ内緒にしてるけどね」
優しく笑いながら、白ウサギは続けます。
「だから、もし来年も見たいっていうなら、今度は僕に言ってね」
「はい!」
「結局、先輩の迷惑になったら悪いなぁって思って、見に行ったのはそれっきりだったんだけど、そのときの感動は今もずっと忘れられなくて。だから、あの子にも運動会を見させてあげたいって思ったの」
「そっか……じゃあ、最後まで油断しないでがんばろうか」
そう言った黒ウサギに、どことなく白ウサギに似た雰囲気を感じながら、ユキは答えました。
「うん。何が何でも、運動会を来週まで延期させよう!」
ユキたちが周囲の動物たちと協力して、毎晩水をまいたり道具を隠したりしたことによって、運動会は一週間延期されました。そして、運動会がようやく開催された日曜日、小学校の校庭には入院していた少女の姿もありました。
「あのカルテに、ちょうど昨日ぐらいまでで退院できそうって書いてあったの」
運動会の様子を眺めながら、ユキが黒ウサギに話します。
「でも、私の見間違いとかそういうのがなかったら、クリスマスにあの子は生きていないんだよね」
悲しげな声で言うユキを、黒ウサギは無言で見つめています。
「私たちの力じゃ、これが、限界なんだね……」
ユキの声は、涙をこらえているためか震えています。
「もうちょっと、なにか、できたら……」
「でも」
ユキの言葉を遮るように、黒ウサギが言いました。
「何もしないよりははるかに良かったと思うし、あの子は今、きっと幸せだぞ?」
「……うん」
日本海に人知れず浮かぶ、小さな島。そこに住むサンタクロースは、いつも一生懸命働くトナカイやウサギたちの望むものも、ちゃんと知っていました。そして、彼らの願いを叶えるために、今年もサンタクロースががんばったという話は、また別の機会に。
終
高校の修学旅行で見たエゾユキウサギがかわいくて、そこから生まれたお話。