六


 輝く剣を持った男性を、長い金髪の女性が、巨大な魔物の攻撃から庇った。
「どうして俺なんかを助けたんだよ!」
「だって、あなたが死んだら誰が世界を救うっていうの!」
 金髪の女性は、大量の血を流していた。やがて倒れ、動かなくなる。男は泣きながら、輝く剣で魔物を切り裂いた。怒りと悲しみと絶望と、たくさんの負の感情がその空間に満ちていた。
「なんて卑怯な手を……!」
「俺が死のうと構うな! 世界を優先しろ!」
 倒れた女性と泣き続ける男性の反対側では、巨大な魔物によって人質に取られた男と、その正面に立っている、先ほどの男性と同じ輝く剣を持った男がいた。
「……すまないっ!」
 剣を持った男は、意を決したように魔物に向かって剣を振る。魔物は真っ二つになったが、人質の男を道連れにしたようだ。人質の男は倒れたきり、動かない。
「君を殺すぐらいなら、殺された方が幸せだ!」
 いつの間にか横に現れていたのは、輝く剣を持った女性と、彼女を弓矢で撃とうとしている男性だった。叫ぶ男性の背後には、巨大な魔物の姿が見える。魔物は彼に憑りつき、一体化していた。
「ごめんなさい……愛してるわっ」
 女性は輝く剣を横に薙ぎ、男ごと魔物を切り裂いた。消滅していく魔物の下で、切り裂かれた男は倒れ伏す。床一面に真っ赤な血が広がっていた。
「だって仕方がない!」
「いやだ!」
「ごめんなさい!」
「世界のためだ!」
「どうして!」
「許せない!」
「なんのために!」
 いくつもいくつも聞こえてくる叫び声が、その空間に響き渡る。重なり合う声のもと、何人もの人間が倒れ、何体もの魔物が、何本もの輝く剣で切り裂かれていた。いったいどれほどの悲しみや憎しみ、怒り、絶望、後悔が、その場に溢れているのだろうか。押しつぶすような負の感情が、その空間を支配していた。

 *

 嫌な夢を見た。珍しく、まだ日も昇らない時間にソーダは目覚めた。今日は、いよいよ魔王城に乗り込み、決着をつける、とてつもなく重要な日である。そうだというのに、どうしてこうも夢見が悪いのだろうか。頭を抱えながらも、ソーダは起き上がり、ベッドから降りた。
 魔王城が目と鼻の先にそびえている村の、小さな宿屋にソーダたちは泊まっていた。魔王城の出現に伴い、もともとの村人たちはみな避難した村だが、いずれ魔王を倒しに来る勇者を支援するべく、各地の戦士たちが集まり、村の設備を維持している。そのおかげで、万全の準備を整えた状態で魔王に挑むことができるわけだが、そんな自分の気分を害した悪夢が恨めしい。
「悪い夢でも見たか?」
 朝食を食べようとしていたソーダに、隣に座ったフェンネルが聞いた。
「なぜわかった」
「顔に出ている」
 ソーダは黙り、焼き立てのパンをかじった。焦げているわけでもないのに、どうにも苦く感じる。
「先輩が早起きして、自分から朝ごはんを食べている時点で、おかしいとは思いますよ」
「そうだよね、いつもはなかなか起きてくれないのに」
 いつの間にか起きていたアセロラとコーンも、テーブルの反対側に座りパンに手を伸ばす。
「お前らは俺をなんだと思っているんだ……」
「日頃の行いの結果だ、仕方あるまい」
「そうですよ、先輩」
 ぐさぐさと突き刺さる正論が耳に痛いが、仕方がない。それに、ソーダはどことなく、安心感も感じていた。いつも通りの態度で接してくれることが、なんだか嬉しい。
「ところで今日の計画だが、昨日話した通り、早めに出発して魔王城に向かい、夜にならないうちに決着をつける。このままで、問題ないな?」
「……あぁ」
 二日前、この村に着いたソーダたちは、すぐには魔王城に向かわず、魔法無効バリアを解除するための別の方法を探し続けた。だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。時間切れだ。そろそろ倒しに行かないと間に合わない。この日の午前中まで調査を続けるという案もあったが、魔王との戦いが夜にまで及べば、力の高まる魔王たちに対して不利になる。故に、その回避が優先されることとなった。だが、方法が全く見つからなかった、というわけでもなかった。もしかしたら、という程度ではあるものの、それでも、希望が全くないわけではない。。
「俺が全て出し切って、それでもどうしようもないとわかるまで、石は使うなよ」
「わかっている」
 魔力でも生命力でもない、伝説の剣が持っている力。それを使って、魔法を越えた魔法を放てば、魔王にも攻撃が届くかもしれない。ソーダはその可能性に賭けていた。
 もう引き返すことはできない。最終決戦は近い。

 *

 目指す城が見えてきたのは、村を出発して三時間ほど歩いた頃のことだった。ゴツゴツとした黒い岩が多い山岳地帯に、不気味な空気を漂わせながら真っ黒な城がそびえ立っている。だが、その周囲に魔物の姿はない。
「少なくとも見張りぐらいはいると思ったんだが……妙だな」
 気配ぐらいはないものかと、辺りを探りながらフェンネルはつぶやいた。
「この前の魔物の城は不意打ちだらけだった。その親玉の魔王が、同じようなことをしてもおかしくないとは思う」
「人質を取ったうえで不意打ちか、本当に卑怯な奴だな」
「吾輩を、そのような卑怯者と一緒にしないでもらいたいものだ」
「……!」
 不意に、会話に割り込む低い声があった。城の方からだ。ソーダたちがそちらへ目をやれば、閉じたままの門の前に、頭蓋骨を抱いた魔物がいつの間にか立っていた。小柄なその魔物は、あちらこちらがほつれた赤黒いマントを羽織っており、真っ黒な球のようなつるりとした頭には目も鼻も口も耳もない。身体は人型に近いように見えるが、裸足で立っている足も、大事そうに頭蓋骨を抱える手も、全て真っ黒で、指と爪がやたら長い。
「貴様らが勇者たちだな。吾輩が魔王だ」
 口は見当たらないが、先ほどと同じ低い声は、黒い小柄な魔物から聞こえる。
「吾輩は逃げも隠れもしない。不意打ちや罠などという姑息な手は使わない。相応しい舞台で、相応しい敵と、相応しい戦いをする時を待っていた」
 魔王を名乗る魔物の背後で、閉じていた城門が音を立てながらゆっくりと開いた。
「舞台はこの先だ。真っ直ぐ歩いて来ればよい」
 一方的に伝えると、魔物は頭蓋骨を愛おしそうに抱いたまま、門の中へと入っていく。その魔物に対して、ソーダたちはなにもできなかった。言葉こそ穏やかだったが、圧倒的な力で周囲を威圧している。あの魔物こそが本当に、魔王なのだろう。しかし、それならばなおのこと、怯むわけにはいかない。
「……準備はいいな?」
 ソーダの言葉に、三人はうなずく。先ほどの言葉を、全て信じ切れるわけではないが、今はとにかく進むしかない。ソーダたちは城へと足を踏み出し、開かれたままの門へ向かった。
 門を通り抜けた先には、岩だらけで殺風景な広い庭があったが、ここにも魔物はいない。真っ直ぐ行った先には城の入り口らしい扉が見え、こちらも開かれている。真っ直ぐ歩いて来ればよい、という言葉は本当なのかもしれない。それでも警戒心は解かずに、ソーダたちは城の入り口までたどり着いたが、結局のところなんの罠もなかった。
「本当に、何もないな」
 広いばかりの庭を眺めながら、フェンネルはつぶやいた。
「正々堂々と戦うつもりなのかな?」
「どう戦ってくるかはわからないが……絶対に、油断はできない」
 何もしかけてこないことが、四人にはむしろ恐ろしく思われていた。罠も不意打ちも使わないのは、そのようなことをせずとも勝てるという絶対的な自信と、それを裏付ける強大な力が魔王にはあるということでもあろう。
「わかってる……行こう」
 ソーダの声を合図に、四人は城の中へと足を踏み入れた。
「吾輩はここだ。来るがよい」
 城に入った四人に、魔王の声が聞こえた。入り口から真っ直ぐに伸びる長い廊下、その先の部屋の入り口に魔王は立っている。がらんとした廊下にその声はよく響いた。
「お前が本当に、魔王なんだな」
「そう名乗っている」
 魔王はソーダの問いかけに答えると、踵を返して部屋の中へ入って行ってしまった。どうやらその部屋が、魔王の言っていた「舞台」のようである。ソーダたちは魔王を追いかけ、部屋に入った。

 *

 そこは何もない、ただただ広い部屋だった。黒い石造りの正方形の部屋を、白い柱と壁に据えられた蝋燭が取り囲んでいる。その中央に、魔王は一人で立っていた。
「さぁ、始めようか」
 それは突然だった。ソーダたち四人が部屋に入ったことを確認するなり、魔王は頭蓋骨を高々と放り投げた。代わりにその手には、骨の柄と赤黒く光る刀身の剣が握られている。真っ直ぐに駆け、あっという間に距離を詰めた魔王は、跳び上がり、ソーダ目がけてその剣を振り下ろす。だが、コーンが大剣でそれを阻んだ。
「そうはさせないよ!」
 その背後でソーダは伝説の剣を構え、フェンネルは弓矢を構えている。アセロラはやや下がり、防御魔法で壁を張ろうとしている。
 再び跳び上がった魔王に対して、先に動いたのはフェンネルだった。何本もの矢を一気に放つ。そのうちの数本が確かに当たったようだが、魔王の動きは少しも鈍らない。軽やかに跳ね、剣を振り下ろす魔王を、再度コーンが受け止めた。
「ただの矢は効かないか」
 先ほどまでとは違う矢をつがえ始めたフェンネルの隣で、今度はソーダが魔法を発動した。床に大きな雪の結晶が浮かび上がったかと思うと、そこから巨大な氷の腕が現れ、魔王を捕らえようとする。跳びはね上へ逃れる魔王に対して、腕はぐんぐんと伸びていき、しかしあと少しのところで掠めた。魔王は剣を下に向け、空気を掴んだ氷の腕を砕こうとする。だが、その寸前で腕は自ら砕けた。飛び散った細かな氷は刃となり、その切っ先を魔王へ向け、集まるように飛んでいく。
「切り刻め!」
 更なる魔法を準備しながら、ソーダは叫んだ。だが、氷の刃は再び砕け散り、氷の粒となって落ちていった。
「無駄だ」
 そう言うと魔王は、赤黒い剣を放り投げ、どこからか槍を取り出した。剣と同じく骨の柄と赤黒い槍頭で構成されている槍を、魔王は両手に一本ずつ握り、再び跳び上がったかと思うとソーダたちに向かって投げ放った。それも二本だけでは済まない。投げた槍が完全に手を離れた次の瞬間には新たな槍が手の中に現れ、それらを即座に構えて投げ放つ。
「さ、さすがに全部は」
「もったいないがこれで撃ち落とす!」
 全ては防げないと思ったコーンの後ろで、フェンネルは構えていた矢を防ぎきれなかった槍目がけて放った。それでもソーダに当たりかけた一本の槍を、アセロラが防御魔法でどうにか防ぐ。
「こいつはどうだ」
 槍の雨を凌いでいた間に、魔王の武器は槍から巨大な斧に変わっていた。やはりそれも、骨と赤黒い刃でできている。小柄な魔王に対して明らかに大きすぎるその得物を、軽々と振り上げ魔王はソーダたちに迫る。
「そいつは頼む!」
「任せて!」
 フェンネルの指示に答えながら、コーンは大剣で斧を受け止めた。ずしりとのしかかる重さに、鍛えた腕も悲鳴を上げるが、どうにか踏ん張る。コーンに防御を任せたフェンネルは、先ほどの矢を今度は魔王に向けて放った。数種類あるそれらの矢には、様々な毒が塗られている。その大半が魔王に当たった、というよりも、むしろ魔王の動きからはこの程度避ける必要もないといった感じがひしひしと伝わってくるが、その自信ごと打ち砕いてやるとばかりに、フェンネルは更に矢を放った。
「まだまだ、負けるもんか!」
 矢が突き刺さったまま、斧による攻撃を繰り返す魔王に、コーンは押され気味だった。それでも必死に、魔王の攻撃を防ぎ続ける。
「諦めろ」
 その言葉と同時に、魔王は斧も投げ捨て、放り投げたまま宙に浮かせていた頭蓋骨を手元に呼び戻した。愛おしそうにそれを魔王が抱えると、魔王の足元から竜巻が起こる。
「まずい、離れろ!」
 ぐんぐんと育っていく竜巻は、魔王に突き刺さっていた毒矢を引き抜き舞い上がらせた。咄嗟にフェンネルは数歩下がり、気づいたコーンも魔法に集中しているソーダを抱えて走った。だが、竜巻の成長はそれを上回る。広範囲に降り注ぐ矢を、全て避けることはできなかった。アセロラの防御魔法でも防ぎきれず、ソーダをかばったコーンに、数本の矢が当たる。
「すまん、軽率なことをした」
「ううん、これくらい、大丈夫」
「すぐ、解毒します!」
 使った毒は即効性のものが多い。大丈夫と言いつつもふらつくコーンにアセロラが駆け寄った。一方、竜巻から出てきた魔王はぴんぴんしている。迂闊だったかと思うフェンネルの隣に立ち、ソーダは言った。
「問題ない、これで終わらせてやる」
 ソーダは剣を上に構え、再度魔法を放った。頭蓋骨を大事に抱えたまま、次の攻撃に移ろうとしていた魔王の頭上から、太い光の柱が降り注ぐ。バジリコを倒した時よりも細く、しかし威力は大幅に上がった光は、三十秒もの間魔王を焼き尽くし続けた。その間ソーダは、魔王と光の柱に全力で意識を傾ける。時間をかけて集めた生命力と魔力から生み出すエネルギーに、伝説の剣の持つ光の力を上乗せした、必殺の魔法。先ほどの様子見とは違う。魔法を越えさせたこの魔法に、全てを込める。
「終われえええええ!」
 ソーダは叫びながら、光の中の魔王を見据えた。誰も犠牲にしない、その思いを果たすには、ここで魔王を倒し、終わらせるしかない。
 やがて、四人にとっては途方もなく長かった三十秒が終わり、光の柱が消えていった。
「倒せた、のか……?」
 黒い残骸を抱えた魔王が、床に倒れこんでいる。ソーダの思いは届いた。ソーダの魔法は伝説の剣の力によって魔王を貫いた。だが、魔王はまだ、動いている。カタカタと揺れながら、声を上げた。
「……キサマ、ユル、サナイ!」
先ほどまでの低い声とは打って変わって、甲高い声で悲鳴を上げるように魔王はしゃべる。
「マダダ! マダ、オワレナイ! ユルセナイ!」
 頭に響く高い声で、魔王は喚き散らす。やがて、魔王の声に呼応するように、ゴロゴロと地響きが聞こえだした。それは四方八方から聞こえる。
「何をするつもりだ!」
「ユルサナイ! ゼッタイニ! ユルサナイ!」
 ソーダの言葉にも答えず、なにも聞こえていないかのように、魔王はただただ叫んだ。駄々をこねる子どものように、自分の主張をひたすらに叫ぶ。
「う、上、天井が!」
「なにっ!」
 アセロラが見上げた先、この広い部屋の天井を三人も見上げれば、黒い石造りのそれは崩れ始めていた。天井だけではない、壁も柱も、城の全てが崩壊しようとしている。
「は、早く逃げないと!」
 ソーダとアセロラの手を取り、コーンは走り出そうとした。フェンネルも走り出そうとするが、四人の足元の床も、天井や壁と同じように崩れ始めた。しかし、崩れ方がどうにもおかしい。なんらかの力を受けて石が砕けるような、そんな崩れ方とは違う。天井も壁も柱も床も、その全てが初めから砂でできていて、元の砂に戻っていくかのような、そんな崩れ方をしていた。床の石畳も、崩れたというよりも黒い砂漠のような地面に変化したと言った方が正しいのかもしれない。
「これはいったい……」
 呆然とするソーダたちの前で、散らばる砂は巻き上げられ、黒い砂嵐が現れる。その巨大な渦は、つい先ほどまで城があった空間を取り囲み、閉じ込めるように新たな壁となった。もはや城は影も形もない。
「どういうことだ……」
 フェンネルのつぶやきが、黒い渦に包まれただだっ広い空間に落ちる。何が起きているのか、起ころうとしているのか、四人にはわからない。黒い残骸を大事に大事に抱えながら、魔王はカタカタと震えていた。ソーダたちはその様子を見ていた、見ていることしかできなかった。ボロボロの姿で倒れこんでいるにもかかわらず、魔王はそれまでよりも遥かにおぞましい気配を漂わせていた。
「ユルサナイ! カエセ! ボクノフリージア!」
 一際甲高い声で魔王が叫んだかと思うと、黒い砂嵐は外側に向かって勢いよく飛んで行った。先程まで城を構成していた黒い砂の粒が、遠くまで散らばり、霧が晴れるように消えていく。そして砂嵐が去った後の空間には、無数の黒い円が浮かんでいた。不気味にうねる穴のようなその円は、城の跡地をぐるりと取り囲み、空間を埋めるように並んでいる。
「これ、もしかして」
「嘘だろ……」
 アセロラとソーダの頭に、一つの言葉が浮かぶ。空間転移魔法。ごく稀に魔物が使うと言われている魔法だが、人類にはその構造の理解すらできていない。いったい何をどうすれば、遠く離れた場所から場所へ、一瞬で移動することができるというのか。だが、嫌な予感は的中する。黒い円のうちの一つから、魔物の脚が飛び出した。やがて頭、胴、後ろ足、尻尾、体全体が飛び出した魔物は、宙に浮かんだ黒い円の前から、重力に従って落下していく。しかし地面と激突することはなかった。その手前で魔物は、より強い力に引っ張られていく。魔王の方へと、真っ直ぐに。魔物が近くまで来ると、目も鼻も口もないつるりとした黒い球形の頭が、中央よりやや下のあたりでぱっくりと割れた。まるで口のようなそれを、魔王は大きく開き、魔物を飲み込んだ。およそ飲み込めるような大きさではないそれを、ごくりと飲み下す。それはひどく不気味な光景であった。
 だが、それだけで済むはずがない。ソーダたちが一連の動きに気を取られているうちに、空間に浮かんだ無数の円からはぞくぞくと魔物たちが現れていた。それらは円というよりも穴だった。やってきた魔物たちは、最初の魔物と同じように魔王の方へと引き寄せられ、一体、また一体と、丸呑みにされていく。様々な見た目の魔物たちを、喰らえば喰らうほどに、魔王は巨大化し、その姿形を変化させていった。
「まさか、世界中の魔物を……」
「なんだよそれ……」
 思わず後ずさったソーダたちの前で、魔王は更に巨大化していく。何もなかった頭には、何本もの角が生え、たてがみが生え、牙が生え、鋭い目が現れ、凶暴さにあふれた顔が浮かび上がっていた。赤黒いマントはとうに裂け、吹き飛んでいる。細長かった腕と脚は、太くごつごつとした形に変化し、背中には巨大な翼が生えてきていた。新しい真っ黒な翼は、頭のてっぺんよりも高くまで広がり、腕を集めて繋げたかのような気味の悪い形をしている。
本当に、世界中全ての魔物が呼び出され、飲み込まれたのではないかと。そう思われるほどに大量の魔物を喰らいつくした魔王は、ソーダの背丈の優に十倍はあるであろう高さと巨体で立ちはだかっていた。
「ユルサナイ! コンナ、セカイ、オワッテシマエ!」
 甲高い声で叫んだ魔王は、その拍子に、巨大化する間も最後まで抱えていた黒い残骸を落としてしまった。しかし、夢中で叫ぶ魔王は、そのことにももはや気づいていない。
「……ソーダ、やはり石を使うしか」
「まだだ! まだ俺は諦めていない!」
 フェンネルの言葉を遮り、ソーダは叫んだ。圧倒的な力を感じさせる魔王の姿に、ソーダは手足の震えを隠しきれない。だが、それを打ち消すような気持ちで、ソーダは言葉を吐き出した。
「もう一度、さっき以上の魔法を使えば……!」
「無茶を言うな!」
 剣を構えるソーダの腕を、フェンネルが掴んで止める。
「あの魔法をあと何回使えるのか、それはお前が一番よくわかっているだろ!」
「わかってる! わかってる、けど!」
 フェンネルの言うことは、ソーダにとって、悲しいぐらいに正論だ。先ほどの光魔法は、大量の生命力と魔力を使うだけあって絶大な威力を誇るが、それ相応に体力の消耗も激しい。威力を落とさないためには、あと一回の使用が限度、三回目はないということを、ソーダ自身よくわかっていた。
「もしこのまま最後の一回を使って、それで駄目だったらどうする。世界のためだ、諦めるしかないんだ!」
「だけど俺は……俺は……っ!」
 うまく反論できないソーダの前で、フェンネルはカモミールたちから受け取ったペンダント、バリア解除ストーンを取り出していた。使い方は何度も確認している。対象の近くで生命力を込めれば、解除魔法は自動で発動していく。あとはそれに合わせて生命力を込めていけばいい。それで希望は託せる。それが最善の選択肢のはずだ。悲鳴のような叫び声を上げながら鋭く尖った腕を振り下ろす魔王と、ふらつきながらもその攻撃を阻むコーンをフェンネルは見つめた。もう時間は残っていない。
「人類全ての命と、たった一人の命、どちらかを犠牲にするしかないのなら、答えは決まっているだろ。他の選択肢を探す時間も尽きた。ここで選ぶしかない、二者択一だ」
 石を握ったまま、フェンネルは魔王だけを見据えた。
「今までのお前は間違っちゃいない、十分すぎるほどよくやった。それでも、どうにもならないことがあるのが世界なんだ。どうしようもないぐらいに理不尽で、認めたくない現実なら山ほどある」
 刃と化した腕に、魔王は更なる力を込める。フェンネルの眼前で、魔王の腕に押されたコーンがよろけた。
「こんなどうしようもない世界で、僅かな希望にすがること、決して諦めないことをお前に押し付けたのは俺だ。酷くてずるいやり方だったのに、それでもお前はそれに応えた。今もなおそうしようとしている。そのことには、感謝してもしきれないぐらいだ。だが」
 フェンネルの手の中で、石が僅かに光を帯び始める。彼の込めた生命力に反応しているのだ。
「今だけは、忘れてくれ。この現実を直視しなくてもいい。お前は未来だけを見ていればいい。嫌な現実は俺が受け止める」
 もう引き返せないのだろうか。ソーダの腕は、考えるよりも早く動いた。
「だからあとは、お前に任せる」
「任されたくなんかない!」
 衝動的に、石を握ったフェンネルの手を両手で掴んだソーダは、石の中で組まれていた魔法を書き換えた。その拍子に落とした剣にもお構いなしに、魔法を暴発させていく。
 解除魔法を発動させることなく、石は砕けた。
「……ソーダ、お前」
「俺は馬鹿だよ。どうしようもないことをしたよ! なんとでも言え! だけど、俺は……」
「バカダ! オロカダ! ココデ、スベテオワル!」
 魔王の甲高い声が、あざ笑うように二人の頭上から聞こえた。見上げれば、コーンを押しのけた魔王が、ソーダたちに巨大な腕を振り下ろそうとしている。避けられない。希望を諦めきれなかった結果、掴んだのは絶望だったのだろうか。
「終わらせるかよっ」
 身体が宙に浮く。ソーダは突き飛ばされていた。目の前に落ちる腕が、フェンネルを襲う。このままでは、押し潰される。
「フェンネル!」
 剣はさっき落とした。だが、杖ならまだある。背中の杖をどうにか掴み、魔法を発動させた。吹き上がる黒い砂塵を受けて、一度は完全に下りかけた腕が持ち上がっていく。
「おい! フェンネル!」
 ソーダは一目散に駆け寄った。倒れているフェンネルは、地面が砂になっていたからだろうか、意識はないが、脈はある。まだ、生きている。
「ソーダ君! フェンネル君!」
 立ち上がり駆け寄ろうとしたコーンは、しかし魔王の追撃に気づき大剣でそれを阻んだ。だが、彼もそろそろ限界であることはソーダの目にも明らかである。
「コーン! 俺は、どうすれば……あ、れ?」
 ソーダはそこで、ようやく一つの事実に気づいた。アセロラが、いつの間にかいなくなっている。いついなくなったのか、いったいどこに行ったのか、なにもわからない。いつの間にか、この場からいなくなっていることしかわからない。
「アセロラ! どこにいる!」
 焦り叫ぶソーダの前で、魔王は今度はやや距離を取り、高々と手を掲げた。その手の周囲に、黒いもやのような塊が浮かぶ。いくつもいくつも、魔王の手から湧き上がる塊は、次第に剣と槍と斧と杖の形を成していった。何本もの剣と何本もの槍と何本もの斧、そして何本もの杖が空を覆っていく。
「オワラセル、オワラセル!」
 黒い塊の大群を、魔王は一斉に放った。ソーダとコーンとフェンネルに向かって、それらは降り注ぐ。避けられない、受け止めきれない。今度こそ、三人ともここで終わるのだろうか。あまりの絶望の大きさに、ソーダの手から杖が滑り落ちた。活路も希望も見えない。見えるのは、どうしようもない終わりだけ。走馬灯のように、この旅で出会った人々の姿が浮かんだ。みんな勇者に希望を託して、信じてくれていた。けれども、希望を求めたこの手が掴んだのは、絶望でしかなかったのだと。全てを終わらせる魔王の攻撃が降り注ぐまでの、この僅かな間に、思い知らされた。
 だが、それは違った。
「終わるのはあなたよ!」
 どこからか声が聞こえたかと思えば、黒い塊は、どうしようもない絶望は、ソーダたちに当たる直前で霧散していった。その霧散の様子に、ソーダは覚えがある。あのとき、あの家で、吹雪を消されたのと同じ。
「カモミールさん!」
 この場にいないはずの人物の名を、ソーダは思わず叫んだ。先ほど背後から聞こえた声も、打消しの魔法も、確かに彼女のものだ。そしてソーダが振り返れば、彼女はこの場所にいた。大量の黒い穴、その一つの前に、クリームやラベンダー、真理の塔の職員や見覚えのない魔法使い達と共に立っている。
「これは、いったい……」
「アセロラちゃんに感謝しなさい。あの子がこの未知の穴に、勇気を持って飛び込んだから、私たちはここに来ることができた。ここに来て、集まって、人類の総力をもって魔王に立ち向かうことができるの!」
「アセロラが……」
 少しずつ、ソーダは頭を整理していく。あの穴は、魔王が作った空間転移魔法。魔王はあれを使って、世界中の魔物をここに集め、吸収した。その穴は、まだ残っている。世界中と繋がっている。
「しかも、俺たちの街周辺の魔物が現れた穴を見つけて、それを選んで飛び込んだってんだから大したもんだよ……アセロラちゃんは先に行っちまったが、俺たちもこれから別の穴を通って、世界中の戦える奴らをここに集める。魔王が全戦力を集めたんだ、人類側が四人だけなんておかしな話だろ?」
「わ、私も、みなさんも、たくさんの人が、協力したいって思ってます!」
 クリームやラベンダー、他の魔法使いの里の住民たちが、いくつもの穴に飛び込んでいく。きっとこれから、世界中の人々を引き連れて帰ってくるのだろう。
「人類、みんなで……」
 世界中の人々を、全員守りたいとソーダは思っている。
初めは、アセロラだけでよかった。自分を認めてくれたアセロラがいれば、それでいいと思っていた。アセロラを守るために、世界も守らなければならない。そんな気持ちで、魔王を倒す力を求めた。だが、いつの間にか変わっていた。できないことだらけの自分を、仲間たちは認めてくれていた。信頼してくれた。仲間だけでなく、出会った人々も、自分のことを信じてくれた。必ず魔王を倒すと、人類を守ると、期待されて、望まれて、信じてもらって、それらに応えたいと思った。不可能だろうと諦められないぐらいに、絶対に応えて、守り抜きたいと思った。そうすれば今度は、みんなが認めてくれる。
だが、彼らは守られるだけの存在ではなかった。魔王を倒してほしいと、守ってほしいと思うと同時に、自分たちも守りたいとずっと思っていた。だからこそ、協力してくれた。その協力の果てに、自分たちを信じてくれた。そして今、ここに集まり、あるいは集まろうとしてくれている。誰だって、大切な人は守りたい。それはただ、認めてくれたから、認めてほしいからだけではない。
「俺は今まで、みんなに認めてほしくて、だから全員守りたいと思っていた。けど、認めてもらうとかはもう、どうでもよくて。俺はただ、みんなを守りたい。守りたいから守る!」
 ソーダはようやく、自分の気持ちがわかった気がした。みんなにも認められたいと思ったのは、みんなも大切だと思ったから。そのことに今さら気づいた。
「さて、それじゃあこれからどう戦う? 人数は揃うでしょうけど、結局のところ、魔王にまともなダメージを与えられるのも、止めを刺すことができるのも、伝説の剣だけだわ」
 ソーダに近寄りながら、カモミールは魔王の様子を見ている。別の穴から現れた戦士たちが、魔法から物理攻撃に切り替えた魔王を食い止めているが、攻撃を抑えるだけで精一杯のようである。
「やってみないとわからない、けど……提案があります。複数人による魔法の発動を行って、生命力を足してもらえば、もしかしたら」
「……バリアを破れる見込みは?」
「伝説の剣には、生命力とも魔力とも違うエネルギーがあります。そのエネルギーで一度は破りました」
「なるほど、わかったわ」
 カモミールはうなずき、近くにいた塔の職員たちに指示を出した。同時に、ポケットからなにやらがさごそと道具を取り出した。それは、細い小さな杖だった。
「けど、生命力を集めるならもっといい手段があるわ。この、エネルギー集約くんを使って、私がここに集まった人間の生命力を集める、それを、あなたの魔法に加える」
「そんな技術、いつの間に」
 驚くソーダに、にこりと笑いながらカモミールは言う。
「私だって、そう簡単に諦めるような人間じゃないの」
 やるならやるで急がなきゃ、そう言ってソーダを急かしながら、カモミールは魔法の準備を始めた。ソーダも、コーンが拾ってきた伝説の剣を受け取り、魔王に向かって構えた。
「ここに来たやつも、これから来るやつも、そうじゃない人間も、誰一人死なせはしない」
「うん。みんなの力で、みんなを守ろう」
 ソーダの両隣には、コーンとカモミールがいる。その周りにも、世界中から人々が集まってきた。魔王は変わらず、禍々しい空気を放ち、辺りにいる人間を威圧している。だが、もう怖くはない。四人で勝てない相手でも、人類みんなで戦えば勝てるかもしれない。不可能だって、可能にできるかもしれない。
「研究員だってことを言い訳にはしません、僕らだって全力を尽くしますよ!」
 穴から戻ってきた真理の塔の職員たちが、生命力の集約に協力していく。カモミールの杖に灯った、小さな白い光が輝きを増していく。
「僕だって、もう諦めたりはしませんから!」
 勢いよく穴から飛び出し、魔王の攻撃を抑えに向かったのは、眠らない街の守衛だった。襲撃の夜にフェンネルから言われた言葉が、彼を突き動かす。
「私も協力します!」
「俺も俺も、魔法なら任せろ!」
 一人、また一人と協力者が現れ、小さな杖の白い光はより大きなものとなっていく。世界を救いたい、大切な人を守りたい、自分にもできることをしたい、諦めたくない、そんな人々の思いが、形を成しつつあった。
「そろそろ、行けそう?」
「はい」
 ソーダの魔法の準備が整う。あとはここに、集めてもらった生命力を加えて、更に魔力を集め、もう一度整えなおせばいい。ソーダの握る伝説の剣も、カモミールの持つ生命力集約用の杖も、集めた力で目映く輝いている。
「下がってて!」
 周囲の人々を離れさせてから、カモミールは小さな杖を伝説の剣に触れさせ、集約した生命力を送り始めた。だが、まだ不完全なその道具では、集めた生命力を全てそのまま送ることができない。時折漏れる生命力が、力の波となって周囲を襲った。その中で、カモミールとソーダはどうにか力の受け渡しを行う。
「カモミールさん!」
「ま、まだ、大丈夫、大丈夫よ……」
 気づけばこの場所には、千に届きそうな数の人々が集まっていた。その全員分ではないとはいえ、大半の人数の生命力を集約している。カモミールの負担も相当に大きい。触れさせた杖と剣が何度も何度も離れそうになる。これ以上は無理なのだろうか。そう思ったとき、聞き慣れた声が聞こえた。
「先輩! カモミールさん! 私も手伝います!」
 走ってきたアセロラが、襲いくる力の波を振り切り、カモミールの杖に手を添えた。生命力の流れが、先ほどまでより安定していく。
「アセロラ!」
「勝手なことしてごめんなさい。でも、私も諦めたくなかったから、何かできることをしたかったんです。そして、今も!」
「……ありがとう。これで終わらせるから、最後まで、頼む」
「はいっ!」
 ソーダを見て、アセロラはくしゃりと笑った。剣の中に、彼女の生命力も流れ込むのを感じる。そこには、彼女の思いも込められている気がした。きっと他の人々も同じだ。みんな諦めたくない、できることをしたい。そして、大切な人を守りたいと思っている。
「絶対これで、倒す!」
 受け取りきった生命力と、その生命力に合わせて集めた魔力で、魔法を完成させていく。これを放てば、きっと魔王を倒せる。いや、必ず倒す。その思いを胸に、ソーダは魔法を放とうとした。
「……くっ」
 だが、さすがに集めた力が大きすぎたのか、ソーダの身体がふらつく。このままでは狙いが逸れる。しかしそれを、コーンが支えた。
「魔法のことは手伝えないけど、こういうことならできるから。大丈夫、僕が支えてるから、安心して」
「コーン……わかった、任せる」
 コーンに身体をゆだね、ソーダは今度こそ魔法を放った。集めた力と思いを、魔王を倒す魔法に変える。巨大化する前の魔王を貫いた光よりも、遥かに強力な光の柱が、彼らの前に立ちはだかる魔王に向かって降り注いだ。
「イヤダ! ユルサナイ! マダダ! マダ!」
 甲高い声で悲痛な叫びをあげる魔王を、轟音と共に光が飲み込んでいく。全ての魔物を飲み込んだ魔王は、より強大な力を手に入れ、人類にとってより絶望的な存在となっていた。これまでの魔王も同じ手を使っていたのかどうか、それは数百年も昔のことであるからわからないが、これまでの勇者たちはそれでも立ち向かい、誰かを犠牲にしながらも勝利してきた。だが、全てを込めた魔法を放ちながら、ソーダは思った。それでは駄目だったのではないかと。昨晩の夢が脳裏に蘇る。あの巨大な魔物は、きっと魔王だ。あの輝く剣は、きっと伝説の剣だ。そして彼らは、誰かを失いながら魔王を倒し、勝利したのに泣いていた。絶望していた。彼らのようにはなりたくない。誰も失いたくない。誰も犠牲にしたくない。
 同時に、自分を取り囲む人々の姿が映った。ここまでに手伝ってくれた人々の姿も浮かぶ。失いたくないのはみんな同じだ。そうして、犠牲を出さずに魔王を倒すため、ここまで協力してくれた。それぞれのできることをしてくれた。みんなに、感謝しないと。そのためにも、ここで魔王を倒さないと。放つ魔法に、ここにいる人々の思いだけでなく、世界中の人々の思いを感じた。受け取った思いに、ソーダは自分の思いを重ねる。
「俺は誰も失わずに、お前を倒す!」
一層強く輝く光が、魔王の絶大な力を打ち破っていく。光の奔流にのまれ、魔王が消滅していく。それは人類が、この世の存在が、絶望的な滅びに打ち勝った瞬間でもあった。その場にいた人々はみな、その光景に目を奪われていた。だからこそ、反応できなかった。
「オワ、ラセナ、イ……ミチ、ズレ、ダ!」
 掠れた声で叫んだ魔王は、残りの僅かな力の全てをソーダに向けて放った。黒い塊が、ソーダの心臓を直撃しようとする。
 ぐしゃりと、嫌な音がした。
「フェンネル……」
「……人に死ぬなと言っといて、先に死ぬんじゃねぇよ」
 黒い塊は、どうにか立ち上がったフェンネルの右腕を直撃していた。再び意識を失ったフェンネルに、先ほどまで手当てをしていた魔法使いたちが慌てて駆け寄る。どうやら、意識が戻りソーダの側に行こうとしていたフェンネルだけが、魔王の最後の一撃に気づいたらしい。
「お前は、本当に……」
 伝えたいことが多すぎて、言葉がつっかえる。今言ったところで、聞こえるはずがないのに何か伝えたい。
「……ありがとう」
 それ以上の言葉が浮かばない。目からどんどんと流れる涙は、悲しいからだろうか、嬉しいからだろうか。
「ありがとう、みんな、ありがとう……!」
 ほとんど口にしたことのない言葉が、溢れるように飛び出す。決して無傷ではないが、ぼろぼろにもなったが、誰も死なずに、魔王に勝利した。先ほどの一撃で本当に力を使い果たした魔王は、跡形もなく消えてしまった。魔王が作ったはずの黒い穴も、いつの間にか全て消えている。人類に迫っていた絶望は消滅し、生きとし生けるものの世界は守られた。その事実はどうしようもないぐらいに嬉しくて、けれども一人の力ではどうあがいても無理だったことであり、力を添えてくれた全ての人々に、感謝を伝えたかった。
「先輩……ありがとう、ございます。みんな、生きてて、すごく、嬉しくて……」
「ありがとう、ソーダ君、みんなの思いを形にしてくれて」
 アセロラも、コーンも、他の人々も、感謝と喜びを伝えていく。それは波のように広がり、次第にはっきりとした実感が込み上げてくる。いつしか、集まった人々は喜びに沸いていた。
「ありがとう……みんなが、いたから、俺……ありがとう」
 うまく言葉をまとめられない。けれどそれでも、今伝えたい精一杯を、涙でぐしゃぐしゃになりながらソーダは伝えた。仲間たちも、世界中から集まった人々も、感謝と喜びを言葉にしていく。滅びを乗り越えた世界で、誰も彼もが生きているのだから、嬉しくてしかたがない。
諦めなかった先に彼らが掴み取ったのは、とても幸せな結末だった。

 

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